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■入谷鬼子母神と朝顔まつり
 おそれ入谷の鬼子母神は江戸三鬼子母神のひとつ、この寺を中心に、毎年7月朝顔まつりが開かれ境内と寺院前の言問通りに120あまりの店が並び、2万鉢の朝顔が売られる。
○入谷鬼子母神の由来(真源寺)
入谷鬼子母神は満治二年(一六五九年)静岡県沼津にあります大本山光長寺の第二十世高運院日融上人が、本山に勧請してございました一寸八分の御木像の鬼子母神様を持ち、江戸に出て、現在の地に仏立山・真源寺を建立し開基と成ります。この鬼子母神像と言いますのは大本山光長寺の開基である彫刻の名手、中老僧日法聖人が彫られ、師匠でございます日蓮聖人が開眼せられたと伝えられています。
またこの鬼子母神様は俗に「恐れ入谷の鬼子母神」と言われ、その由来については當山にあります縁起に、「さる大名家の奥女中が腰に腫れ物ができてしまい医者に見放されてしまったが、入谷にある鬼子母神が大変御利益があると言うので、二十一日間の願をかけ毎日お参りをしていたところ、満願の日の帰りに、橋でつまづき欄干のえぼしに腰を打ち付けてしまった事で、腫れ物の口が破れて膿が出てしまい、時をへずして全治した」とあります。これを江戸の中期に活躍しました狂歌師でございます太田蜀山人が聞き付け、その御利益に恐れ入ったと言うことで「恐れ入谷の鬼子母神」と洒落言葉で言ったのが江戸っ子の間で流行になり現在までも使われています。
○鬼子母神様について
鬼子母神様は法華経の陀羅尼品と言うお経に出てまいります仏教の神で、仏教説話によりますと、人の子をさらっては食べていた夜叉で御座いましたが、その悪行がお釈迦様の知るところとなり、お釈迦様は鬼子母神を戒めるために、末っ子のピンガラを隠してまいます。自分の子供が居なくなった鬼子母神は気違いのようになって捜し回ります。ところがどこを捜しても子供は見つからずとうとうお釈迦様に救いを求めに行きます。するとお釈迦様は鬼子母神に対し、おまえは数多くの子供が居るにもかかわらずたった一人の子供が居なくなってもこの様に悲しむのに、ましてや何人も居ない子供をさらわれた親の悲しみが、どれほど深いものか解るかと諭され、我に返った鬼子母神はそれからは悪行をやめ、仏教に帰依します。そしてお釈迦様に対し法華経を信仰する人を守りますと誓いをたてられます。それからの鬼子母神様は苦しい修行にも耐えて、ついに法華経の守護神となり、また母親と子供を護る仏教の神として信仰されるまでになります。ですから鬼子母神様は法華経を主として唱えているお寺さんでしたら勧請してございますが、その中でも入谷の鬼子母神と中山の鬼子母神と雑司ケ谷の鬼子母神とが霊験あらたかな事から古来より江戸三大鬼子母神と言われています。
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■子規庵
俳人正岡子規は明治25年頃から根岸に居をかまえ、彼の文学活動の拠点となったのが「子規庵」。子規は「主観を没し、ただありのままに自然を見て、そのまま模倣する」という写実主義を唱え、俳句の革新につとめた。
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■書道博物館
洋画家で書家の中村不折が収集した中国の書跡石碑などを展示してある。
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■ねぎし三平堂
昭和の爆笑王・林家三平の資料館。膨大なネタ本や愛用の品々、又四季折々の小囃や、「よしこさ〜ん」の歌声が飛び出すなど楽しい仕掛けがいっぱい。
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